「なつかしい未来創造」は陸前高田の経営者を中心に、株式会社ソシオ エンジン・アソシエイツのメンバーを交えて、岩手県中小企業家同友会や一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワークの協力を得ながら歩みを進める〝復興まちづくり会社〟です。
地元の資源を活かしながら、社会の今日的課題に応え、将来的に約500名分の雇用を創出。複数の事業を育成し、当社自体は10年間で発展的に解散することを目指しています。
2011年3月11日の震災が起こる以前から、陸前高田では他の地方都市と同じく、高齢化と人口減少が進んでいました。
江戸時代には今泉街道・気仙街道の交わる地域として発展したものの、近年は隣接する大船渡市・気仙沼市のベットタウン的な性格を持ち合わせていた陸前高田からは、震災後あらためて仕事を求めて内陸部に移る働き盛り世帯も少なからず、人材の流出がつづいています。
現在は復興需要で一部には働き口があるものの、内容を選べない短期の雇用が大半で、国の支援期間が過ぎた後も暮らしを支えうる、持続性や発展性のある仕事は多くありません。
岩手県中小企業家同友会・気仙支部の仲間である経営者数名は、自社の再建だけでなく、陸前高田一帯における中長期的な仕事と環境づくりの必要性を被災後に実感。
内閣府のインターンシップ事業を通じて出会った、東京のコンサルティング会社 ソシオ エンジン・アソシエイツのメンバーらとともに、復興支援期を越えて人々を支える仕事づくりを目的とする「なつかしい未来創造 株式会社」を、2011年10月に設立しました。
生活を維持し、成長・学習の機会となる「仕事」をつくり、地域内外の魅力的な人的交流を生み出す「出会い」を増やし、地域の将来的な可能性をひろげる「良い社会資本」を形づくって、陸前高田の次代の子どもたちが人生を健やかに切り拓いてゆくことのできる〝環境と状況〟の創造に取り組みます。
*「なつかしい未来創造」 という社名
東日本大震災が起こる以前から、中小企業家同友会の活動を通じて、地元メンバーたちが自分たちの住む陸前高田の未来について考える時、いつも次のような話をしていた。
同友会の基本的な姿勢でもある「人間らしく生きる」ことを実現できるまちとして、長い時間を経て蓄積し続けてその土地の習慣や文化となったものや、その土地が持つ自然、人と人とのつながりなど、近年薄れてゆくものをもう一度取り戻し、今の時代に合ったかたちでよみがえらせてゆく、そんなことが、それぞれの事業を通じて実践して行くことができれば、子どもも大人も我がまちを愛し、地域を維持してゆけるのでは―。
勉強会で、ある講師から、「懐かしい未来」という言葉とともにその概念を聞いたときに、自分たちがこれまでに考えてきたことがこの言葉に込められていると、衝撃を受けた。
この想いは震災前も後も変わらず自分たちの中に生き続けており、社名として掲げて活動することとなった。
*なお、「懐かしい未来」は、環境活動家ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんの著書、『Ancient Futures』(2003年日本語タイトル『懐かしい未来 ラダックから学ぶ』)出版、同タイトルの映像(2001年)日本語版作成に際し、NPO法人懐かしい未来 代表理事、鎌田陽司氏が、Ancient Futuresを「懐かしい未来」と翻訳され、送り出された言葉。
NPO法人懐かしい未来:http://afutures.net/
*「復興まちづくり会社」とは
2011年の震災後、国の復興構想会議で「行政の限界に加え、民間主導のまちづくりが期待されることから、被災地における〝復興まちづくり会社〟の設立が求められる」とその必要性が謳われた。以前より事例の多い〝まちづくり会社〟は、市街地の整備改善など地域振興を目的に設立される公共性の高い会社を指し、ここでは被災地における復興を主眼とする同様の会社組織を指す。
構想会議の流れを受けて国交省も調査・サポートを進めたが、復旧・復興の遅れもあり、現2012年6月時点では東北の被災地において、岩手県大槌町で準備中の復興まちづくり会社(官民共同出資、9月設立予定)と「なつかしい未来創造 株式会社」以外には、まだ存在しない。
なつかしい未来創造 株式会社ではその設立準備段階(2011年夏~秋)において「地域の信頼の絆と、自立の誇り、伝統、そして豊かな自然を基盤とした、共感と対話の場をつくり」「多くの対話から生まれてきた、市民の知恵と自然の資本を形にしてゆく活動を通じ」「陸前高田の地域資源の特性を生かした産業復興を、地域主体で創造してゆく」ことが、望まれる役割や機能として確認された。
資金調達の可能性や事業開発面での自由度から、民間のみで構成される〝株式会社〟組織と、それを補う参加型ネットワークとしての〝協議会〟組織をその形態として選択。復興の状況に合わせて、将来的には事業・組織形態の変更が必要とされる可能性もあると考えている。
1947年大船渡市生まれ。陸前高田ドライビング・スクールをはじめ岩手県で三つの自動車学校を経営。岩手県中小企業家同友会代表理事、大船渡商工会議所議員、ケセンきらめき大学学長なども務める。2011年の震災において同校は高台にあったため難を逃れたが、寮の提供や救援物資の配送など直後から活動にあたった。
1962年久留米市生まれ。流通企業、社会情報系シンクタンクを経て、2001年に株式会社ソシオ エンジン・アソシエイツを創業、代表取締役社長に。2010年、一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワークの設立に関わり専務理事・事務局長に就任。2011年5月に陸前高田の経営者らと出会い、夏を通じて勉強会を重ね、ともに復興まちづくり会社を設立。
1973年陸前高田市生まれ。レッドロックスコミュニティカレッジ卒業。醸造蔵・八木澤商店九代目。食の安全性やおいしさの追求と同時に、地域の活性化や地場産業の育成に力を注いでいる。東日本大震災により社屋、製造工場、自宅が全壊・流失。内陸部に拠点を移し再建に奔走。本社は2012年7月より陸前高田矢作地区に再移転。
1980年陸前高田市生まれ。株式会社長谷川建設 代表取締役社長。震災で社屋や機材を流失、大切な社員も失う。瓦礫処理など復旧作業に加え、仮設市庁舎や、再建をかける企業の社屋建設などを担う。市内全仮設住宅の管理業務も担うなか「復興は建物を建てることではなく、人の心を立てること」であると実感。住民との対話を日々重ねながら、ともに復興に向けて歩んでいる。
1961年厚木市生まれ。広告代理店で社会情報コミュニケーションを担当した後、株式会社ソシオ エンジンの創業に参画。代表取締役副社長に。企業や行政など多様なセクターと、キャリア教育や生涯教育のプログラム開発、インターンシップ等、さまざまな事業を手がける。2011年5月以降、内閣府事業の一環で陸前高田に滞在。追って「なつかしい未来創造」の設立に参画。
1977年兵庫県生まれ。広告代理店、シニアマーケティングのベンチャー企業を経て、ソシオ エンジンに入社。キャリア教育、ソーシャルマーケティングに関する調査・企画コンサルティング、インターンシップ事業運営などを担う。2011年11月より大船渡市に移住。月の大半を陸前高田で暮らしながら、なつかしい未来創造株式会社のスタッフとして活動を重ねている。
1982年長野県生まれ。人材紹介会社、環境ビジネスの会社勤務を経て、2012年よりソシオ エンジンに入社。同年よりなつかしい未来創造の業務に加わり、高田市内のある地区のまちづくり協議会の運営や、震災で失われた記憶を継承するアーカイブ事業に携わる。現在並行して、一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワークの事務局業務も行っている。
1947年陸前高田市生まれ。岩手県・七市一町一村に展開する食品スーパーマーケット「マイヤ」の代表取締役社長。大船渡商工会議所副会頭・(株)マークス代表取締役会長・岩手経済同友会幹事など。東日本大震災で自宅と母親を失い企業規模の四割を被災したが、食のライフラインを守るべく全社一丸となって奮闘。お客様の信頼度も増し、会社も完全復活中。
1943年陸前高田市生まれ。1971年、当地で第1号の税理士事務所を創業。震災で事務所、自宅全壊。職員1名が帰宅中に被災し、現在11名(内公認会計士1名、税理士1名)で復旧・復活に向けて鳴石地区に事務所を再開し奮闘中。TKC全国会会員、陸前高田市ロータリークラブ会員、社会福祉法人等の監事等も務めている。
打越長武(コスピオ代表、まちづくり構想の視覚化をサポート)、 三浦史朗(数奇屋施工の技術を軸に住宅・店舗・家具づくりを重ねる京都の株式会社三角屋 役員)、西村佳哲(リビングワールド代表)
阿部史恵(株式会社八木澤商店)、 加藤千晶(株式会社八木澤商店)、 菅野安弘(株式会社長谷川建設)、 高橋勇樹(有限会社桜木家具店)、 橋詰真司(有限会社橋勝商店)、 畠山晃男(畠山林業)、 村上英将(村上製材所)
熊野英介(ソーシャルビジネス・ネットワーク副代表理事、アミタホールディングス(株)代表取締役会長兼社長)、 大船渡商工会議所、 ケセンきらめき大学、清水健司(岩手大学工学部教授、INS岩手ネットワークシステム事務局)、 村井良隆(株式会社あさ開/岩手県中小企業家同友会 代表理事)、 村松幸雄(株式会社信幸プロテック、岩手県中小企業家同友会 代表理事)、 両角和夫(東北大学名誉教授、東京農業大学大学院 環境共生学専攻 教授)、 陸前高田商工会、 そのほか大勢の皆様